(昭和34年5月1日施行)
  町章 
 松の葉に黒を図案化したもので全体的な丸味は円満平和を表わしている。
 黒松の葉3本は、三村合併を意味し、外部の太さは健康、内部の細さは心の温和を表わしている。
  町の沿革
 本町は、昭和30年1月15日旧黒松内村、熱郛村、樽岸村(中ノ川地区)の三村の合併により、三和村として発足し、昭和34年1月1日三和町制を施行し、同年5月1日から寿都郡黒松内町と町名改称、新発足し、役場は黒松内に位置しておる。
 旧黒松内は遠く天保年間、松前の人花岡利右ヱ門が、クロマツナイ山道世話役として来住したことに始まり、明治4年伊達邦成の家臣13戸が移住をみて以来、来住者相次ぎ、明治12年戸長役場の設置、同27年を前後として、谷農場を始めとする各農場の創設、同37年の函館本線の開通によって、急に発展をみ、同42年4月、2級町村制を施行、昭和22年地方自治法による改正を経て今日に至った。
 熱郛村は、明治4年斗南藩士24戸の作開来住並びに、山本玉吉外数名の白炭転入に始まり同5年から24年にわたって白井川、大谷地を始め各地区に農場、横村農場が創設されて逐次集団来住、または定住をみて一村を成すに至った。町村制は明治6年潮路村外5ケ村戸長役場の管轄として作開村、熱郛村の2ケ村に区分されていたが、明治34年作開村、熱郛村戸長役場管轄として独立し、大正4年2級町村制を施行して熱郛村と改称した。
 樽岸村のうち中ノ川地区は附近の住民が季節的に来住していたが、明治27年後志興農会社農場として、急に開発され、明治13年樽岸村外1ケ村戸長役場管内に編入され次で大正12年4月、2級町村制施行、村名を樽岸村と改称した。
 昭和30年1月役場庁舎改築の議起り同31年6月起工12月竣功現庁舎に移転
 昭和32年11月23日自治庁長官より、新村建設優良村として表彰を受けたり。
  位置及び地勢
 本町は後志支庁管内の南部一円の地で、東経140度33分から、北緯42度15分に位し、寿都湾と内浦湾を結ぶ地峡経間28粁の間に介在し、東南は磯谷郡蘭越町、山越郡長万部町及び虻田郡豊浦町に接し、西北は島牧郡島牧村、寿都郡寿都町に境している。
 町内は幾多の丘陵起伏して、特に平野と称すべき地は少ないが、朱太川沿岸は農耕に適している。鉄道は東方字白井川より丘陵地帯に沿い、字黒松内に至り、町の中央を貫通し更に私鉄が黒松内から分岐、朱太川に沿い字中ノ川に通じ寿都に至っている。
 気候は夏季東南の気流で、気温冷涼多湿雨天を持続し、ことに春夏季中、噴火湾から濃霧の襲来があって、気温がいちじるしく低下し作物生育期間中を通じ気候不順に陥ることが多い。
 町役場の位置 字黒松内302番地1
 函館本線黒松内駅から 0.2粁
 後志支庁、倶知安町役場から 61粁
 函館市から 132.3粁
 寿都町役場から 16.5粁
 札幌市から 154.0粁
 長万部町役場から 20.0粁
 町の面積
面積 345.65平方キロメートル広ぼう 東西 29.3km
南北 19.7km
黒松内、旭野、西沢、中里、豊幌、歌才、東栄、大成、東川、赤井川、白井川、婆沢、大谷地、チヨポシナイ、熱郛、白炭、南作開、北作開、中ノ川、目名、五十嵐、添別
 開村の日
 明治12年12月25日(1879年)